【雑記】仮面ライダーを『ヒーロー』と呼ぶことへの違和感
今やすっかり子供たちのヒーローとして定着している
ヒーローという単語を結びつけることに違和感がある。
(いや、ヒーローであることに間違いはないんだけど、
なんかこう、モヤモヤしたものがあって笑)
先に言っておくと、今回はオチのないただの雑記だ。
さて、いわゆる『平成ライダー』と呼ばれる仮面ライダーは、なりゆきで仮面ライダーとして戦うことになるケースが多い。
まぁ、この「なりゆき」も運命であるからにして、
結局はなるべくしてなったと言えるのだろうが。
(最初の内、力を持て余してこれからどうするかベッドで悶えるライダーもいたなぁ。。w)
つまり、仮面ライダーとして戦い始めた初期段階のうちは、割と「敵が現れたから倒す」という
行き当たりばったり感が強くなってしまう。
とは言え、1年を掛けて人としても仮面ライダーとしても成長していくストーリー構成になっていることから
物語中盤から終盤にかけては立派なヒーローとして
成立していることもまた事実だ。
恐らく、自分が抱えているモヤモヤは「ヒーロー」という単語で一括りにされていることに対するもので
「ヲタク特有のめんどくさいやつ」なのだと思う。
しかしこの「なりゆき」の多さは、想像に過ぎないもの
ではあるが「誰でも仮面ライダーになれる可能性がある」ことを制作側が示唆しているのかなと思う。
もちろん、仮面ライダーが存在しないことは
曲げようのない事実なのだが
ふとしたことがキッカケで人生が大きく変わることは、
僕らの生きる世界でも充分起こり得る。
そんなメッセージも含まれてるとしたら、
「人としての成長がこれから」である子供たちには
そりゃあもう最高の教科書と言えるだろう。
(伝え方が間接的すぎるだろ!というツッコミが聞こえてくるが)
じゃあ昔はどうだったんだと『昭和ライダー』に
目を向けると、改造人間(いわゆるサイボーグ)という
「異形の者」としての悲哀を背負いながら戦い続ける戦士
とした側面が強調されている。
昭和ライダーの中には、(最初のうちは)敵組織への復讐が戦う理由であったライダーもおり、
復讐という感情を乗り越えての仮面ライダーであるから、
やはり「ヒーロー」という単語でまとめられるのは違うと感じてしまうのだ。
(めんどくさいこと言ってるなぁと自分でも思う)
ちなみに、昭和ライダーの1号~ZXまでの活躍を
描いている漫画『仮面ライダーSPIRITS』がある。
それこそファンの妄想を全て形にしてくれたような
作品なので非常にオススメだ。
現在36巻まで刊行されており、今が1番アツい展開!
オチもなにもない雑記なのでこのへんで終わりにするが
間違いなくヒーローだ。
しかし、それぞれが抱える背景は昭和と平成で分けても
非常に差異があるからこそ
この途方もないモヤモヤが生まれるんだろうと思う。
それぞれのライダーを端的に表現できるだけの語彙力や
『平成ジェネレーションズForever』でウラタロスが
見せた「クサさ」があればなぁ。