雑記屋さん

某広告代理店勤務のクリエイティブディレクターが、時々お仕事のことや趣味の仮面ライダー/カメラのことについてツラツラと記事にしていきます!

平成最後を飾る『仮面ライダー平成ジェネレーションズ FOREVER』は何がすごかったのか

2018年、各所で「平成最後の○○」という言葉を耳にしましたが、題名にある"仮面ライダー"の映画も

ついに平成最後を迎えることになった。

 

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興行収入で見ても、12日間で10億円を突破するという冬映画シリーズ歴代最速を記録しており、

かなり注目されていたことが伺える。

 

しかし、面白いことに公開前は、過去に例を見ないほど映画についての情報が少ない作品でもあった。

個人的にも、CMや公式サイトを見てもピンとこない、「うわ絶対に観たい!」とはならなかったのである。

「平成最後だし、せっかくだから観に行くか」くらいのテンションで公開翌日に観劇したが、観劇後には

圧倒的な充足感に加え、様々な感情の波に襲われていた。

 

※以降の内容にはネタバレがあります。問題ない方のみ先にお進みください。

 

 

 

 

まず、前提として本作は仮面ライダーは現実にはいない。虚構の存在」というメタフィクション(作中作)を

採用している。

要するに、仮面ライダーの"作品内の世界"とそれをフィクションとして視聴している"我々の世界"が

融合した状況でストーリーが展開していくのだ。

(もちろん、ここでいう"我々の世界"も映画内の話なのでフィクションではあるのだが、、)

これだけでも難解なのだが、更に"歴史改変"と"タイムトラベル"という、半ばお約束とも言える要素が

プラスされているので本当に理解が難しかった。

恐らく、本来のターゲットであるべきキッズ層はちんぷんかんぷんだったのではないか、、

 

さて、上記のような様相を呈している為、細かいストーリー内容を記載していくと途方もない文量になる。

ここでは割愛して、題名にもしている「何がすごかったのか」について3点、順に触れていきたい。

 

1.再現性

本作品は、終盤に平成20作品分の主人公ライダーが総結集するのだが、とにかく再現性がすごい。

各ライダーの動き、クセ、ポージングと、彼らを象徴する全てにおける再現性が高かったのである。

 

当然では?と思うかもしれないが、この19年、主役ライダーはクウガ響鬼以外の全てを

高岩成二さんが1人で演じてきた。

つまり、全員集合する映画となると、撮影の関係で高岩さんが演じられないライダーが必然的に多くなるのだ。

その条件下での再現性である。各ライダーの一挙手一投足に当時の思い出が蘇る。

特に、唯一映画化がされなかった仮面ライダークウガについては2つの見どころがあった。

ひとつはマイティキックである。右手を前に、左手をベルトの上にかざすポーズから両手を広げる仕草。

右足から放たれる炎のエフェクト。キック後の着地。

2000年当時、テレビでしか見ることの出来なかった"完全な"マイティキックをスクリーンで観られたのだ。


続いて、印象的なバイクアクションだ。放送当時、バイクスタント限定でスーツアクターを務めた

2輪レーサーの成田匠さんが再登板が叶った、あの独特のアクションが復活したのである。

 

他にも力を入れており、アギト/龍騎/ディケイド/ゴーストのセリフは当時の主演キャストが新録を行い、

他のライダーについても、ライブラリ音声ではあるものの全員当時の主演キャストの音声を使用している。

(これまでは、顔出ししないライダーについては全く別の人が声をあてることがほどんどであった)

もう一弾細かい部分まで掘り下げていくと、地球の本棚(なぜかウォズが発動していたが)やデンライナーなども

ビジュアルだけではなくSEまで当時のものを使用するといった、過去作へのリスペクトも随所に盛り込まれていた。

 

過去作へのリスペクト、よりもむしろ、"過去作品を今でも愛してくれるファンへの感謝"のようにも見えた。

 

2.パーフェクトサプライズ

そう。佐藤健の登場である。佐藤健野上良太郎として10年ぶりに帰ってきたのである。

これは超極秘事項として扱われており、台本にも出演シーン部分のセリフは載せず、佐藤健さんの撮影日も

開示せず、更には脚本を手がけた下山健人さんにも佐藤健出演は伏せられていた程である。

徹底的に情報統制をしたおかげで、特に公開初日については「佐藤健が登場したときには映画館内に

悲鳴にも似た歓声があがった」とSNSで見かけた。

佐藤健さんは仮面ライダー電王の主人公を演じており、出演シーンは"電王パート"として特別感のある

仕上がりであった。

電王パートのみ、放送当時の脚本のほぼ全てを担当した小林靖子さんが手掛けており、

モモタロスを始めとした4タロスのセリフや動き、佐藤健さん演じる野上良太郎石丸謙二郎さん演じる

オーナーの個性は10年前を強烈に思い起こさせたと言えるだろう。

また、佐藤健さんのセリフも"仮面ライダーは虚構である"本作のテーマに寄り添った内容となっており

「存在するということはどういうことなのか」を語りかけてくるのである。ここで号泣だ。

 

そんな完璧だった電王パートの最後は、野上良太郎と最も時間を共にしたモモタロスのセリフで締められた。

「俺たちも、お前を忘れるかよ・・・良太郎」

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これは、我々ファンが佐藤健さんへの想いを代弁してくれているようにも思える。

しかし、個人的にはもうひとつの解釈が出来るとも考えている。10年前の最終回は、

良太郎(佐藤健)のセリフ「いつか、未来で!」で締められている。それを踏まえて考えると、

今作のモモタロスのセリフは10年前へのアンサー(未来永劫、繋がりは切れない)とも受け取れるのでは

ないだろうか。

 

正直、宣伝の仕方としては佐藤健さんを客寄せパンダにすることも可能だったわけである。

(本人が望む望まないは置いといて)

しかしそれをせず公開初日までファンへの感謝、もといサプライズとして秘密にしてくれたことに対して

感動したと共に感謝の気持ちでいっぱいになったパートであった。

 

3.テーマ/メッセージ

今作のテーマは仮面ライダーは存在しない。虚構の存在。」である。元も子もないテーマだ。

そもそも、仮面ライダーが実在していないことについては、子供も含め多くの人が知るところである。

(同じマンションに住む5歳のライダーファンも、実在しないことを理解していた)

 

しかし、ここが深いところなのである。

事実、仮面ライダーは実在しない虚構の産物である。しかし、我々は仮面ライダーを知っているし

記憶している。そう、つまり仮面ライダーは確かに存在しているのだ。

"本来は存在しない人間"である運命に抗い続けた前作の主人公・桐生戦兎はこう言う。

「存在するしないは大した問題じゃない。俺たちは今ここにいる」(うろ覚えですがニュアンスはこんな感じ)

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2で述べた電王パートでも、野上良太郎「誰かの記憶に残っていれば、それは存在することになる」

いった旨のセリフを言っている。

これらのセリフが全ての解なのだ。

 

つまりどういうことか。フィクションであり虚構であり作りものである"仮面ライダー"は、

我々のような視聴者が記憶して語り継いでいくことで"存在するもの"として形作られるということだと考える。

更に、仮面ライダーという作品は仮面ライダーだけではなく、それを好きで応援するファンがいて初めて

"仮面ライダー"として成り立つ」という制作陣からのメッセージだと僕は捉えた。

本作は、仮面ライダーの歴史と共に歩んできた全てのファンに対して感謝を届けてくれたと言えるだろう。

 

以上が、僕の考える"何がすごかったのか"である。

 

複雑奇怪なストーリーを着地させながら、しかもこれだけの熱量をプラスでぶつけてきた本作品。

いちファンとしてこれだけの作品を観ることが出来て幸せだ。

 

仮面ライダーは、カッコイイ。