雑記屋さん

某広告代理店勤務のクリエイティブディレクターが、時々お仕事のことや趣味の仮面ライダー/カメラのことについてツラツラと記事にしていきます!

【フィルムレビュー】CineStill 800Tが想像以上に『エモい』写りをしたので紹介したい

2/8~11で九州を旅行してきた。

3泊4日の中で、福岡/長崎/宮崎/熊本と

中々濃密なスケジュールだった。

(体力回復しないと思って12日も休みにして

家で仕事してましたごめんなさいすみません

許してください)

 

今回は、デジタル一眼レフに加えて35mmフィルムカメラ

も持参して撮影を楽しんできたのだが、

写りが非常にエモかったので、是非紹介したく

本記事を執筆している。ほんと、見て。

 

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まず、カメラは1973年発売の『PENTAX SPF』に

1960年代に製造されていたレンズ

『Super Takumar 55mm F1.8』を装着して使用している。

それに合わせて今回使用したフィルムが、

赤い丸のついたケースに入っている

『CineStill 800T』だ。

 

www.amazon.co.jp

 

簡単にフィルムのことを紹介すると、

下記のような特徴を持っていることがわかる。

 映画用タングステン光下フィルムのISO800カラーネガフィルム

映画のワンシーンを切り出したようなイメージで撮影できます。
映画用タングステン光下フィルムのISO800カラーネガフィルム。
低照度で困難なタングステン光の状況のために設計されています。
多くの異なる照明状況でも使用することができます。


再加工された特注のこのフィルムは、標準的なC-41で安全に現像できます。
タングステン光(3200K)で撮影したい時は、ISO800として設定し、フィルター無しでの撮影が推奨されます。
ナイト撮影に向いていますが、タングステンフィルムなので、太陽光の元では青みがかった色になります。
その際は、色補正フィルターを使用すると(KODAKの85B、ケンコーのW12、富士LBA-12)普通の色味になります。


青みがかった不思議な色を楽しむ場合は、プリントで色補正をしないよう指示して下さい。
(引用:Amazon.co.jp)

「 映画のワンシーンのような写真が撮れるよ!

昼でも撮れるけど、どちらかというと夜を

オススメするよ!」このような具合だ。

 

ここからは実際に撮影した写真を掲載するが、

僕は基本的に全て開放で撮るタイプだ。

今回も絞ることは一切せずに、絞り開放、

シャッタースピードは1/500で撮影している

 

まずは福岡にある宮地嶽神社。ここは年に2回

『光の道』という、太陽が道路から参道までを

一直線に照らす現象が有名な神社だ。(しめ縄も有名)

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『光の道』には遭遇できなかったが

それでも非常に雰囲気のある光景だった。

フィルムの質感も相まって、写真左上の

夕日が実にキレイに映えた。

 

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夜に強いフィルムということで1枚。

フィルムで夜景を撮影したのは初で

「こんなにキレイに撮れるのか!」と驚いたのが

正直なところであった。

街灯の光を見るとわかるのだが、光源が滲んだような

ボケとなるのが特徴らしく個人的には好みだ。

(カメラって、電球とか街灯とかが苦手なのよね)

 

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この2枚は居酒屋で撮影したものだ。

店名は忘れてしまったが何を食べても美味しい。

福岡すげえ。

写真はというと、この2枚だけレタッチをしている。

店内が暗く、真っ暗な写りになってしまったからだ。

粒子感もすごいし、青いプラズマみたいなのも走ってるし

これはこれで面白い。

 

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この5枚は福岡なのか宮崎なのか熊本なのか

忘れてしまったが(汗

景色が良くて車を停めた場所だ。

まさに映画のワンシーンを切り出したような

写りだと思ったし

これらの写真を見た際は「おぉ!」と声が出た。

景色ももちろんキレイなのだが、黄色い服が

太陽に照らされて輝いている感じが非常に良い。

エモい。エモすぎる。エモエモのエモだ。

 

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最後の3枚は、宮崎県は高千穂『真名井の滝』だ。

正確には真名井の滝に向かう途中なのだが、

特に1枚目のコントラストの高さは、

場所が持つ神秘さを表現しているように感じる。

 

※全体を通して、写真が白みがかっているが

 これはレンズのせい

 

初めて使用したフィルムであるが

遠い記憶を思い出している時のモヤモヤを

具現化したような、なんとも表現しがたい

描写をする素敵なフィルムであった。

 

目に見えているものと同じものが撮影できるのも

もちろん素敵だが、こんな写真も趣があり、

全く異なる良さがあるのだ、と思う。

会社のなかで『おっさん枠』に入った身として、6年間を振り返ろうと思う

たまにはお仕事の話でも。

今年の4月で社会人7年目になる。それも新卒からお世話になってる会社でだ。

 

これを書いている時点では6年目ではあるが、

会社の中で割とおじさん扱いされる機会の増えた身として、

6年間を年次を追って振り返ろうと思う。

 

最初に断っておくが、輝かしい実績を持った

エースプレイヤーの振り返りではない。

あくまで普通の人の振り返りであることを念頭に置いてほしい。

 

まず、僕はとある広告代理店に勤めている。

1〜2年目の頃はGoogleAnalyticsを用いた

アクセス解析』が業務であった。

アクセス解析チームが僕を含め2名と少なかったこともあり、早いうちから一定量の仕事を任せてもらえた。

その為、比較的早いうちに業務には慣れたが

それだけでしかなかった。

 

それはなぜか?

僕に『主体性』がなかったからである。

自分で考えて自分で動くということをせずに、

与えられたものを無難に捌いていたにすぎない。

メンバーを持つ身になってからは、この頃の教訓というか後悔というか、「キミは結局どうしたいの?」と問うようにしている。

与えられたことをこなす時期も必要ではあるが、一定期間以降は自分の意思を持って臨まなければそれは『仕事』ではなく『作業』でしかない。

 

入社後すぐの僕を指導してくれた先輩からは「お願いしたことに対しては100%で応えてくれるけど、それ以上がない」といったような旨を言われたことがある。

当時は「それで良いじゃん!」と内心思っていたが、今振り返ると全然良くない。

色々あるが個人的には、何もわからない時期から

自分の対応範囲を自分で線引きしていたことがイケてなかったと思う。

(実際、同部署に配属された他3名とはあっという間に差をつけられていた)

 

3年目に転機が訪れ、業務内容が『アクセス解析』から『ディレクター』に変わることとなった。

いわゆるTwitterFacebookInstagramなどで見かける広告をデザイナーさんと二人三脚で作っていく職だ。

ゲームアプリの広告ディレクション

任されてからは、ある程度社内でも名を知られるようになり、部内での月間MVPを半年の内に4度もらった。

プレイヤーとして目立ったのは後にも先にもこの程度である。(実にショボい)

 

ただ、この時期にわかったことは、自分だけの武器を見つけるor作ることは何よりも重要であるということ。

「◯◯といったら誰々に相談すれば良い」と社内の人間が連想してくれたら勝ちだ。

 

3年目の10月からはリーダーとしてチームを持たせてもらい自分が誰かを指導する側となった。

ここからが難しく、自分ではない人の管理やモチベーションコントロールには完璧な正解がない。

ざっくり、マネジメント方は3パターンに分かれると思っているのだが

1.リスク承知で部下の自主性を重んじるタイプ

2.経験則から部下に采配を振るう、専制君主タイプ

3.自分は自分、人は人の放任タイプ

厳密に分けていけばまだあるだろうが、大枠はこの程度だろう。

 

どれが良い悪いを議論するつもりはないが、僕は1と3の中間に位置している。

これは初めてチームを持った3年目後半から今に至るまで、思想としては一貫している。

ここで言いたいのは、

チームを持つ、自分のことだけすれば良い段階を脱したら自分なりのマネジメントスタイルを考えた方が良いということだ。

自分の振る舞いが部下に与える影響は思いの外大きい。

 

4年目は、個人的には暗黒期のひとつだ。

どう考えてもマネージャーがやるべき仕事を渡されたことで、担当中の大型案件/メンバーの管理/マネージャーがすべき仕事を行っていた。

「そんなこと?」と思うかもしれないが、他部署のマネージャーや部長と折衝する、言えば僕の交渉次第で部全体の達成未達成が決まる内容なのだ。(しかも、僕は当時社の階級制度上1番下に属していたのである。)

ぶっちゃけ、この件に関しては当時の上長のことを良く思ってないし今でも根に持っている。

本当に大変だったのよ精神的に(`;ω;´)

 

ただ、末端に属しながら重要部分を担当したからこそ、少しのことでは動揺しなくなったし、どうすれば交渉が難航しないかの判断力が身についた。

自分が想像しなかった成長は、自分が想像しなかった業務から得られることが多い。

たくさん文句も愚痴も言って良い。でもそれは、いつかの明日に役立っているだろう。

 

5年目は、自己評価と他己評価の乖離が激しすぎて記憶から消えた笑

半年ずつ2回、新しい組織を構築運営したが、むしろ評価は下がる一方で

精神的に非常に辛い時期を過ごしていたことを覚えている。

まぁ無理やり考えると、3〜4年目で経験したことが自信を通り越して慢心になっていたのだろう。

確かに、「自分はこれだけやったのだから評価されるべきだ」という謎の自信、というよりも慢心があった。これは非常に危ない。

評価を下すのは、悲しいかな第三者である。評価されたいのであれば第三者に伝わるような努力をすべきだし、本当にやりきったのであればそのような努力をせずとも結果は伴ってくるはずだ(例外もあるが)。

もし納得いかない結果だった場合、どこかやり方を間違えていなかったか振り返ると良いだろう。

 

6年目となり、いよいよ『おっさん枠』に入った僕は、これまでの反省を活かし考え方を始めとした業務へのスタンスや振る舞い方を変えてみた。

すると、初めて自分の描いた通りにピースがハマり始めた感覚を得ることができた。

6年目になってやっと?とか言うんじゃない。俺が1番思っとるわ

つまり、自己肯定的になるので恥ずかしいが、成長スピードやポイントは人それぞれで大きく異なるということを覚えておいてもらいたい。

僕は、同部署の同期3名がすごいスピードで上にいったことに劣等感があり、今でも「あの時もっとこうしていれば変わったかもしれない」と思うことがある。

しかし、それはどれだけ考えても時間の無駄でしかなく、考えるべきは「空いてしまった距離をどう縮めるか」であるし、もっというと「自分は最終的にどうなりたいから、段階的にどう進むべきか」を考え続けることこそが重要なのだ。

 

以上が6年間に感じたことを簡単に纏めた内容だ。

自分より下の年次への(偉そうな)アドバイスのような中身になってしまったが、何かしらこれを読んでくれた人のプラスになると幸いだ。 

 

最後に、別に退職するわけでもないが、この6年間に関わってくれた全てのかたに感謝してこの取り留めのない記事を終えようと思う。

ファンサービスの暴力!?『仮面ライダー 平成ジェネレーションズFINAL ビルド&エグゼイド with レジェンドライダー』に魅了されて

『平成ジェネレーションズForever』が冬映画として興行収入の最速記録を記録したことは記憶に新しい。

しかし、あの衝撃作の前作にあたる『平成ジェネレーションズ FINAL』も忘れてはならない。というより、

この『平成ジェネレーションズFINAL』があったからこその『Forever』だったともいえる。

 

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MOVIE大戦含めて8作目、平成ジェネレーションズ単体としては2作目にあたる。

個人的には、モノサシ(※)である『MOVIE大戦MEGAMAX』よりも満足度が高く

『平成ジェネレーションズForever』にも負けず劣らずの出来であったと考えている。

※モノサシについては、以前書いた下記の記事をご参照ください。

「仮面ライダーx仮面ライダー フォーゼ&オーズ MOVIE大戦MEGAMAX」が突きつけてきた"冬映画の可能性" - 雑記屋さん

 

だがしかし、本作と『平成ジェネレーションズForever』とでは決定的に違うことがある。

今回はそこから触れていこうと思う。

『平成ジェネレーションズ FINAL』が『Forever』と決定的に異なる点。

それは、二次創作物のような出来である点だ。

 

作品としてはもちろん素晴らしい出来だし、劇場で鑑賞した際の衝撃たるや

頭をガーン!と殴られたかのようなものだった。

がしかし、冷静に考えると「ファンの期待に寄り過ぎてるのでは?」とも取れる

描写がいくつもあったのだ。

もっとも強く感じた部分はこれだ。

■オーズよ永遠に。FINALの中に見るForever

最新作の『平成ジェネレーションズForever』と掛けたのだがいかがだろう笑

本作のレジェンド枠で、世間を最もざわつかせたのは福士蒼汰さんの出演であったことは間違いない。

これは"奇跡"と言っても差し支えない出来事であっただろう。

 

しかし、レジェンドライダーとして、本作の中で一際丁寧に描かれたライダーがいた。オーズである。

これには火野映司を演じた渡部秀さんの『オーズ』に対する"愛"とも言える程の"想い"が影響している。

そもそも、渡部さんはTVシリーズ放送当時から大の仮面ライダー好きを公言しており、

そんな彼が演じた『オーズ』、思い入れが誰よりも1番強いことは当然とも言えることだろう。

ラジオやDVDのメイキング映像では、「オーズパートは監督の他アンクを演じる三浦涼介さんと3名で形作っていった」とあり、それ故に「やりすぎじゃない?」と感じるほどに愛が溢れていたのだと思う。

 

2011年公開の『MOVIE大戦MEGAMAX』においては下記のようなやり取りがあった。

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映司「ねぇ!一緒に戦うのって、もしかしてこれが最後?

アンク「そうなりたくなかったら、キッチリ生き残れ!」

映司「わかった!お前もな!」

アンク「・・・フンッ」

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このやり取りから6年、「一緒に戦う」のが「最後ではなかった」ことを証明したのである。

それだけでもファンからしたら涙することなのだが、『平成ジェネレーションズFINAL』で再会した際は

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アンク「映司・・・相変わらずボロボロだなぁ」

映司「(涙ぐみながら)お前のせいだろ・・・」

アンク「・・・知るか」

映司「今日この日だったんだな。お前がいる明日って。」

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と、TVシリーズ当時と変わらない、そこにはまさしく我々の知る映司とアンクがいたのである。

 

再会後は、かつての小気味よいやり取りを交えながら戦闘を行い、

無事フィナーレを迎えるのだがそのシーンがオーズにとってのFINALであり、しかしForeverでもあったのだ。

(アンクは今回も一時的な復活を遂げたに過ぎず、最終決戦後はまた消滅することになる。)

暗い倉庫に佇むアンク。それは実態なのか幻影なのかわからない、神秘的な描写であった。

そこにアンクの好物であるアイスキャンディーを持って現れる映司。

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「アーンク、はい!約束!」と渡されたアイスを頬張るアンク。

その後のアンクの演技は、言葉では表現しきれない、一種の芸術とさえ感じた。

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FINALでありながらも、『オーズ』という物語が永遠(Forever)に続いていくだろうことを示唆させる完璧な仕上がりであった。

しかし、この完璧過ぎる、愛が溢れた展開が故に、二次創作のような出来を

作品全体に広げてしまったとも言えるのだ。

 

果たして、オーズのTVシリーズを知らない子供世代がこのシーンを観て

我々と同じように感情移入できるかと考えると、おそらく否だろう。

ただ、僕ら大人世代としては大満足だったのではないか。もうそれで良い!うん、それで良い!!

 

と、感情がぐちゃぐちゃになっている中で方向を修正すると

本作が高評価を生んだ点は、上記のような過剰ともとれるファンサービスの他、

主に3つあると考えている。

 

■設定を忠実に守っている(冬映画特有の「超展開」が発生してない)

簡単なように見えて実は非常に難しい、しかしファンとしては大切にして欲しい事柄である。

なぜなら、以前の記事にも書いたが、「仮面ライダー」は作品ごとに異なる世界で生きている。

つまり、本来であれば異なる作品のライダーが交わることはないのである。

 

「交わることはない」こと自体は、同じく以前の記事で否定したものの、本作はちょっと特殊だ。

作品の中心となる『仮面ライダービルド』は日本が「スカイウォール」という壁により3つに分断されている。

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つまり、国という大きなものに独自の世界観を加えているのだ。「スカイウォール」はもちろん

他のライダー作品には登場しない。

ということは、ビルドを中心とした世界に他作品のライダーを出すことの難易度が高いのだ。

ではどうしたか?

簡単に言うと、平行世界である地球をぶつけることで、異なる世界線のライダーと共演させたのである。

敵の目的が、地球Aにいる自分と地球Bにいる自分を融合させて「完璧な1人になる」ことであり、

"それ"と地球同士が衝突することを防ぐことがライダーの目的。

それによって、スカイウォールのあるビルドの世界でも、

TVシリーズ中の設定を壊すことなく新旧ライダーの共演が叶っているのだ。

過去作、MOVIE大戦MEGAMAX以前は特に、「新旧ライダーは共演させるけど、それによって生じる矛盾には目をつぶってね!」と設定部分において詰めの甘い作品が多かった。

 

これらに加えて、如月弦太朗(福士蒼汰)についても設定を壊すことなく再登場を果たしている。

彼はなんと、2012年12月公開の『仮面ライダー×仮面ライダー ウィザード&フォーゼ MOVIE大戦アルティメイタム』にて、変身アイテムである「フォーゼドライバー」を破壊してしまったのだ。

そこで、本作における如月弦太朗は『アルティメイタム』以前の如月弦太朗として登場しているのである。

(フォーゼシリーズとして観ると、既に続編が5年前に公開されているという、異色の作品となった)

 

このように、映画シリーズではとかく無視されがちな設定について、

説明の出来る方法で作品たちを繋げているのが本作なのだ。

 

■本作の監督が上堀内 佳寿也さんである

ではなぜ、本作はここまで設定を忠実に守った作品となりえたのか。

それは、監督が上堀内さんであったからだと言えるだろう。上堀内さんは、本作に登場するレジェンドライダー

全ての助監督を務めた後、エグゼイドにてTVシリーズの監督としてデビューしたという経歴の持ち主だ。

つまり誰よりも作品のことを深く理解している方が本作の監督をしたのである。

「そりゃこれほど(胸焼けするくらい)愛に溢れた作品になるわ」と妙に納得してしまう。

各キャストとそれぞれ1年間を共にしてきた上堀内さんだからこそ、キャストとの連携や画の魅せ方など演者と視聴者双方に細やかな配慮が叶ったのだろう。

 

■脚本が『エグゼイド』『ビルド』のメインライター2名による共作である

本作はTVシリーズにおける『エグゼイド』の脚本を努めた高橋悠也さんと、

『ビルド』の脚本を務めた武藤将吾さんとが協力して脚本を制作している。映画の主軸となる2作品の

メインライターが共同で脚本を仕上げたこともまた、本作が出来栄えをより良くしたことは明白だ。

厳密に言うと、高橋さんは『ビルド』パートと『レジェンドライダー』パートを担当されたのだが

各作品を入念に研究したというのであるから驚きである。

だからこそ、各レジェンドライダーに焦点を当てた展開もすんなりと受け入れられる、というよりも

"TVシリーズ当時のままの彼ら"を観ることが出来たのだろう。

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TVシリーズの設定を忠実に守れているのは、監督を上堀内さんが担当し、脚本を『ビルド』『エグゼイド』のメインライターに共作してもらったからという他ないのだ。

しかしそれもまた、完璧すぎるが故の違和感を生んでしまったと考えている。

 

さて、そろそろお腹もいっぱいになってきたと思うので

個人的に"これぞ王道!"という部分を1つ取り上げよう。 

 

■問われる"仮面ライダー"の存在意義

近しい内容は最新作『平成ジェネレーションズForever』でも触れられていたが、

あの作品は"仮面ライダー"と"視聴者"が存在について1つの答えを

導き出したような展開であった。

それに対し本作は、新旧ライダーが共演していく中で

仮面ライダーは何のために存在し何のために戦うのか」の解を見つけていく。

その「解を見つける」重要な役割を担うのが『ビルド』の

第2ライダーである万丈龍我(赤楚衛二)だ。

万丈はTVシリーズ11話から変身して戦うようになった、本作の中では

1番後輩にあたるライダーである。

※映画公開時がTVシリーズ14~15話あたりのはず。つまりまだ3週間くらいしか経っていない"未成熟"なライダーと言えるだろう。

 

万丈は行動を共にしていた仮面ライダーオーズ/火野映司(渡部秀)と

仮面ライダーエグゼイド/宝生永夢(飯島寛騎)に心情を吐露する。

「なんか、ピンと来ねえって言うかさ!世界がヤバくなってんのは肌感覚でわかんだけど、見ず知らずの他人のために、命を張れる理由がわかんなくて・・・」

ごもっともだ。普通に考えて無理だ。

さらに万丈は「誰に頼まれたわけでもないのに、誰に感謝されるわけでもないのに、なんで戦うんだよ」と戦いに向かうレジェンドライダーたちを見て呟く。

それは新人ライダーとして"信念"が出来上がっていない万丈のセリフであると共に、

(ファンであっても)視聴者が仮面ライダーに対して1度は思ったことがある内容ではないだろうか。

さて、僕はオーズパートを除けば本作は万丈のための作品と言っても過言ではないと思っている。

それほどに万丈視点で仮面ライダーとはなにか」を愚直に描いているのだ。

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「なんでだよ。頼まれたわけでもねえのに。誰に感謝されるわけでもねえのに!

なんでそんなボロボロになるまで戦えるんだよ!みんなバカばっかだ!

けど、悪くねえ。俺は俺のために戦う。俺が信じた、俺を信じてくれた者のために戦う!

-Are you ready?(ベルトからの変身音)- 変身!」

 

平成ライダー」が勧善懲悪のストーリーでないことは

ファンからしたら当然の事実であるだろう。

絶対的な正義が存在しない中で、それでも各々が信じる正義に向かって

歩みを進めていくのが平成ライダーの見所でもある。

 

本作は、個人的には戦闘シーンよりも

キャラクター同士の会話や心情の変化について注目してもらいたい。

(戦闘シーンも、もちろんカッコイイし、レジェンドライダーそれぞれの見せ場にはグッと来る演出が多数もりこまれている)

 

兎にも角にも、少しでも平成ライダーを観たことがある方は

本作を鑑賞することで「感じるなにか」があるはずだ。

ここのところ、まとめが雑で申し訳なくはあるのだが、

ただただ観てほしい。その気持ちがなによりも強い。

 

そして、今日もどこかで戦う仮面ライダーに思いを馳せてほしい。

そんな作品なのである。 

HASSELBLADで撮るということ。〜中判カメラの魅力〜

カメラが趣味となってから早2年。

一向に腕が上がらないが、機材のグレードアップだけは早い。

 

カメラといえば、ざっくりデジタルカメラフィルムカメラがあるが今日はフィルムカメラの話。

更に言うと"中判カメラ"についてである。

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実際に使用しているHASSELBLAD 503CXだ。

スウェーデン人のヴィクター・ハッセルブラッドが生んだHASSELBLADは、長きに渡りプロアマ問わず写真家の憧れとして君臨していた。

僕の503CXは、ボディが1989年製、フィルムマガジンが1988年製と概ね30年前のカメラということがわかる。その時代から親しまれてきているのだ。

(30年前のカメラであるが、購入価格は19.8万した。。"憧れ"で終わる理由がわかるだろう。。)

(フィルムも12枚撮り1本が800円程、現像に1,400円程掛かる。。大人の趣味だ。。)

 

さて、初めて見た方は「これ本当にカメラなの?」と思うフォルムだろう。

ファインダーを覗いて撮るのではなく、上から覗き込んで撮影するスタイルをとる。

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つまりこのように、ウエストあたりでカメラを構えて

撮影するのだ。

デジタルカメラのように、自動でピントを合わせる

機能もないため、ファインダーで被写体を

覗き込みながら、レンズについたピントリングを

回してピントを合わせていく。

スマホで気軽にバシャバシャ撮影できる時代に、

なんて無駄なことをしてるんだ」

という声が聞こえてくるが、その無駄もまた楽しいのである。

 

実際に撮影した写真をいくつか掲載していこう。

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HASSELBLADは6x6の正方形フォーマットで写真が出来上がる。

これが特徴でもあり、中判カメラはこの6x6フォーマットの人気が高い。

 

また、写真はデジタルカメラとは違う風合いになる。

35mmフルサイズというプロが使うデジタルカメラ

よりも大きいミラーサイズであるため、

解像力は抜群に高い。

1枚目の東京駅と6枚目のみなとみらいの写真を見るとわかるだろう。

 

しかし、その高い解像力とは裏腹に、どこかノスタルジックな写りにもなる。

"目で見たものそのまま"ではなく、"ぼんやりした記憶"とでも言うべきか。

 

フィルムカメラは、デジタルカメラのように撮影直後に写真の確認ができない。

フィルム1本使い切って現像して初めて、どのような写真が撮れたか知ることができる。

全く、いちいち何をするにしても時間を要するのではあるが、それも含めて楽しい。

デジタルカメラで撮影していると、撮ることに対して"ドキドキ"や"ワクワク"を忘れがちになるのだが、

フィルムカメラは純粋に楽しむ気持ちを思い出させてくれる。

 

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現像したフィルムを眺めることもまた一興だ。

僕はリバーサルフィルムという、現像したフィルムが

カラーになるものを好んで使用している。

色鮮やかなフィルムを見ると、やはりワクワクする。

 

ランニングコストを考えると、ガシガシ使えるカメラ!ということにはならないが、

デジタルの時代だからこそ、敢えてフィルムを使うというひねくれた行為を続けていこうと思うのである。



 

 

 

「仮面ライダーx仮面ライダー フォーゼ&オーズ MOVIE大戦MEGAMAX」が突きつけてきた"冬映画の可能性"

この長いタイトルの映画は、今から8年前。2011年12月10日に公開された作品である。

最近は「平成ジェネレーションズ」と名を変えた、いわゆる"仮面ライダーの冬映画"であるが

この頃は「MOVIE大戦」を名乗っていた。本作は、その3作目にあたる。

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今回は、題名にもある通り"冬映画の可能性"を含めて、本作の感想を記載していくのだが

そのためには、まず過去のTVシリーズに触れていかなければならない。

 

そもそも、今でこそ冬映画の風物詩となっている複数作品の共演であるが、これは本来タブーであった。

なぜか?仮面ライダーの作品は"全て異なる世界で繰り広げられる物語"だからだ。

つまり、仮面ライダーフォーゼの世界に仮面ライダーオーズ"本来いるはずがない"ということになる。

しかしそれを可能にした、「MOVIE大戦」を成立させる出来事が2つ、TVシリーズで起きたのだ。

 

まずは2007~2008年に放送された「仮面ライダー電王」である。

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「ライダーなのに電車に乗るってどうなの?変になっちゃったの?」

と物議を醸した作品であるが、この電車は"時を走る列車デンライナー"なのだ。"時を走る"ことがキーであり

現在という時間軸以外に過去と未来まで軸を広げることを実現したのである。

 

続いて、2009年に放送された「仮面ライダーディケイド」だ。

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「ライダーなのにシンプルにダサくない?変になっちゃったの?」

と、こちらも物議を醸した作品だ。そんなディケイドが何をしたかというと、

作品それぞれ異なる世界にいるため、決して交わることのなかった各仮面ライダーたちを

半ば強引とも言える形で"すべての作品が繋がった世界"としてしまったのである。

(ディケイド放送当時は、一応過去作品はパラレルワールドとして起用していたが・・・)

 

以上の2つの出来事があった為に

・「MOVIE大戦」ひいては各作品のライダーを共演できるようにした

・未来や過去といった別の時間軸の出現を"起こりうること"にした

ということが"仮面ライダー"という作品全体で可能となったのだ。

 

ここまで書いて、やっと本映画について触れていくことが出来る。

この映画、時系列順に並べると「7人ライダー編」「オーズ編」「W編」「フォーゼ編」「MOVIE大戦」と

5部構成から成るのだが、1時間35分という短い中で"完璧"といえる出来で結んでいるのだ。

 

"冬映画の可能性"をそこで感じたか?いや、それは違う。

核心部分から書いてしまうが、それは「MOVIE大戦パート」に対してである。

新旧ライダーの共演が、非常にテンポよく、少しのムダも疑問もない完璧な仕上がりであったからだ。

過去2作は、共演することの必然性がいまいち薄く、異なる作品を同時に取り扱うことの難しさを感じた。

「鑑賞中に疑問や腑に落ちない部分を見つけてしまうと、どこか感情移入が出来なくなってしまう。」

そんな経験が皆さんも1度はないだろうか。過去2作は自分にとってまさに"それ"だった。

ライダー同士が共演できるようになったのに、その特別感を扱いきれていない感じとでも言うべきか。 

 

しかし、今作ではWの左翔太郎(桐山漣)とフィリップ(菅田将暉)、オーズの火野映司(渡部秀)、

フォーゼの如月弦太朗(福士蒼汰)が必然性を持って同じ画面に並び、小気味よくやり取りを行う。

映司が「弦太朗くん、友達できた?」のセリフと共に登場するシーンには胸が踊った。

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また、この中では最も"先輩"であるWの2名は一歩引きながら先輩として後輩にバトンを渡したのだが

そこに新旧ライダーが共演する"意味"と"美学"があった。

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翔太郎「時間がねぇ。お前達は先に行け。2人とも、カンナギとのケリは自分でつけたいって顔してるぜ」 

映司「それはそうかも知れませんけど・・・」

翔太郎「映司、最初に会ったとき、お前が言った言葉覚えてるか?『ライダーは助け合いでしょ』だろ?借りは返しとくぜ」

映司「・・・わかりました。行こう、弦太朗くん!」

弦太朗「頼んだぜ、先輩!」

フィリップ「・・・僕らが先輩かぁ・・・」

翔太郎「ま、それも悪くないんじゃねぇか」

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このやり取りこそである。これこそが純粋な"共演"であり、待ち望んでいたものなのだ。

 

(今や売れっ子俳優の菅田将暉さんと福士蒼汰さんが、こうして共演していたことは今思うと奇跡でもあるが)

 

過去2作も、部分部分を切り取って観ると、非常に良い作品であることは間違いない。

しかし、新旧ライダーが共演する意味、必然性は「MOVIE大戦MEGAMAX」が導き出したと言えるだろう。

 

 

全体を通しても見所は盛りだくさんだ。

物語の始まりである「7人ライダー編」については、

坂本監督の描く"ならでは"の戦闘シーンが試運転というには豪華な描かれ方をしている。

ワイヤーアクションとカメラワーク、肉弾戦で使用されるベビーパウダーにより、

昭和当時では"撮りたくても撮れなかった画"が画面いっぱいに広がるのだ。

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特にカメラワークについては、1対多数の乱戦ではカメラを無造作に振っていることで画面が揺れる。

それにより、あたかも視聴者自身もそこにいるかのような没入感を生むのだ(酔う人もいるかもしれないが)。

肉弾戦により空を舞うベビーパウダーは戦闘の激しさをわかりやすく表現している。

時を越えて輝く昭和ライダーは、平成になっても色褪せないカッコ良さがあった。

 

 

メインパートの1である「オーズ編」は、オーズファンなら誰しもが願っていたであろう

"アンクの復活"について、ファン心理を無下にしない正攻法で描いてみせた。

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アンクといえば、TVシリーズ最終回でコアメダルが砕け散ったことにより実質的な"死"を迎えていた。

「アンクは復活させてほしい。でも、映画だからと言って超展開で安易に登場させることはやめて欲しい」

という複雑なファン心理を抱えていた方も多いのではないだろうか。

しかし、「考えすぎだったか?」と思うほど自然な流れで復活を遂げる。

その後の映司とアンクのやり取りは、1年間を共にした言葉では表せない信頼関係を感じさせた。

映司自身は、TVシリーズ通り"自分の手が届くなら絶対に助けたい!という信念を貫いているところは嬉しい。

未来から来た仮面ライダーアクアである湊ミハルへの語りかけが印象的であった。

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-明日のパンツがない!と騒ぐ映司に、ヒロインである泉比奈(高田里穂)がパンツを渡すシーンがあった後-

映司「俺のおじいちゃんの遺言で、男はいつ死ぬかわからないから、パンツはいつも一張羅履いとけって」

ミハル「俺にそんな覚悟があれば・・・」

映司「そうじゃなくて、肝心なのは"明日の"ってとこ!これは今日ちゃんと生きて、明日行くための覚悟なんだ。ミハルくんは、その明日を守ってくれる仮面ライダーだろ。大丈夫、君が挫けた今日は、俺達が守るから。

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仮面ライダーみんなの今日を明日に繋ぐ存在

ヒーローという抽象的なものを見事に言語化しているのではないか。

個人的にも、このセリフは非常に好きなセリフの内の1つである。

 

 

そして、「W編」だ。「オーズ編」と「フォーゼ編」を繋ぎ、最後の「MOVIE大戦パート」への橋渡しが

役割であり、オーズ/フォーゼの先輩として見事にテンポ良く全うしていた。

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見どころとしては、"昭和ライダーへのリスペクト"が挙げられる。

変身時に顔に出ている模様は、仮面ライダー1号2号のオマージュであると思われる。

彼らは、怒りのスイッチが入ると顔に改造手術の手術痕が模様のように浮かび上がるのだ。

それを現代風にアレンジしているのだろう。

必殺技もどこか昭和ライダーを感じさせるような、シンプルなライダーパンチ/ライダーキックであり

無駄のない、引き算された上で成り立つカッコ良さがあった。

 

 

「フォーゼ編」は、元々が"天ノ川学園高等学校"を舞台とした学園青春ドラマの側面を持たせた

作品でもあることから、"恋愛"といういかにも過ぎる要素を盛り込んだパートとなっている。

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青春ドラマで見られる"友情"と"恋愛"に"仮面ライダー"という要素が加わることの化学反応は一見の価値ありだ。

※坂本監督は女性をローアングルから撮影する"特徴"があり、今回も例に違わず、女子高生の太ももをドアップで映すという男性が喜ぶであろうシーンが用意されている。

また、(戦闘シーンのある)女性ライダーとしては4人目となる"仮面ライダーなでしこ"が登場するのだが

女性特有のしなやかなアクションは男性ライダーとの良いコントラストを生んでいた。

ストーリー自体は超展開に驚かされるというか、「人ってスライムとも恋できるのかぁ・・・」という

謎の感情が湧いてくるのであるが、しっかり纏めてくることに驚かされる。

ただ、本映画がフォーゼのTVシリーズが開始して3ヶ月程で公開されているということで、

フォーゼ主要キャストの演技面は不自然さを感じる面も多々あった。(特に各キャストの表情や細かい動き)

 

 

クライマックスの「MOVIE大戦パート」は先に書いた通りだ。

付け加えるとしたら、W/オーズ/フォーゼが共闘しない、個々の戦闘シーンは高岩成二さんがスーツアクター

担当してくれている。これは非常にありがたいファンサービスであった。

Wに関しては、短時間ではあったものの、主要フォーム全ての戦闘/必殺技を観られて大満足。

ラスボスとの戦闘後のエンディングでは、各キャラクターの心情を丁寧に描いており、

ただのヒーロー映画ではない"ドラマ"としてもキレイに完結している。

 

 

さて、そろそろ締めに移ろうと思うが、

本作品は"新旧ライダーの共演作"として観ると衝撃的とも言える完成度だ。

昭和ライダーの活躍、昭和ライダーのオマージュと、世代を超えた過去作リスペクトを盛り込みながら

W/オーズ/フォーゼパートは、TVシリーズと繋がっている世界として丁寧且つ濃密な内容で描かれている。

 

僕は今でも本作品をよく鑑賞する。何度でも観たくなる魅力があるのだ。

更に言うと、「MOVIE大戦MEGAMAX」が自分の中で"冬映画"の完成度を測るモノサシとなっている。

そのようなファンも多いのではないだろうか。

 

僕は、"冬映画の可能性を突きつけてきた"この作品を手放しでオススメする。

(プライムビデオで観られますよ。ぜひ)

 

平成最後を飾る『仮面ライダー平成ジェネレーションズ FOREVER』は何がすごかったのか

2018年、各所で「平成最後の○○」という言葉を耳にしましたが、題名にある"仮面ライダー"の映画も

ついに平成最後を迎えることになった。

 

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興行収入で見ても、12日間で10億円を突破するという冬映画シリーズ歴代最速を記録しており、

かなり注目されていたことが伺える。

 

しかし、面白いことに公開前は、過去に例を見ないほど映画についての情報が少ない作品でもあった。

個人的にも、CMや公式サイトを見てもピンとこない、「うわ絶対に観たい!」とはならなかったのである。

「平成最後だし、せっかくだから観に行くか」くらいのテンションで公開翌日に観劇したが、観劇後には

圧倒的な充足感に加え、様々な感情の波に襲われていた。

 

※以降の内容にはネタバレがあります。問題ない方のみ先にお進みください。

 

 

 

 

まず、前提として本作は仮面ライダーは現実にはいない。虚構の存在」というメタフィクション(作中作)を

採用している。

要するに、仮面ライダーの"作品内の世界"とそれをフィクションとして視聴している"我々の世界"が

融合した状況でストーリーが展開していくのだ。

(もちろん、ここでいう"我々の世界"も映画内の話なのでフィクションではあるのだが、、)

これだけでも難解なのだが、更に"歴史改変"と"タイムトラベル"という、半ばお約束とも言える要素が

プラスされているので本当に理解が難しかった。

恐らく、本来のターゲットであるべきキッズ層はちんぷんかんぷんだったのではないか、、

 

さて、上記のような様相を呈している為、細かいストーリー内容を記載していくと途方もない文量になる。

ここでは割愛して、題名にもしている「何がすごかったのか」について3点、順に触れていきたい。

 

1.再現性

本作品は、終盤に平成20作品分の主人公ライダーが総結集するのだが、とにかく再現性がすごい。

各ライダーの動き、クセ、ポージングと、彼らを象徴する全てにおける再現性が高かったのである。

 

当然では?と思うかもしれないが、この19年、主役ライダーはクウガ響鬼以外の全てを

高岩成二さんが1人で演じてきた。

つまり、全員集合する映画となると、撮影の関係で高岩さんが演じられないライダーが必然的に多くなるのだ。

その条件下での再現性である。各ライダーの一挙手一投足に当時の思い出が蘇る。

特に、唯一映画化がされなかった仮面ライダークウガについては2つの見どころがあった。

ひとつはマイティキックである。右手を前に、左手をベルトの上にかざすポーズから両手を広げる仕草。

右足から放たれる炎のエフェクト。キック後の着地。

2000年当時、テレビでしか見ることの出来なかった"完全な"マイティキックをスクリーンで観られたのだ。


続いて、印象的なバイクアクションだ。放送当時、バイクスタント限定でスーツアクターを務めた

2輪レーサーの成田匠さんが再登板が叶った、あの独特のアクションが復活したのである。

 

他にも力を入れており、アギト/龍騎/ディケイド/ゴーストのセリフは当時の主演キャストが新録を行い、

他のライダーについても、ライブラリ音声ではあるものの全員当時の主演キャストの音声を使用している。

(これまでは、顔出ししないライダーについては全く別の人が声をあてることがほどんどであった)

もう一弾細かい部分まで掘り下げていくと、地球の本棚(なぜかウォズが発動していたが)やデンライナーなども

ビジュアルだけではなくSEまで当時のものを使用するといった、過去作へのリスペクトも随所に盛り込まれていた。

 

過去作へのリスペクト、よりもむしろ、"過去作品を今でも愛してくれるファンへの感謝"のようにも見えた。

 

2.パーフェクトサプライズ

そう。佐藤健の登場である。佐藤健野上良太郎として10年ぶりに帰ってきたのである。

これは超極秘事項として扱われており、台本にも出演シーン部分のセリフは載せず、佐藤健さんの撮影日も

開示せず、更には脚本を手がけた下山健人さんにも佐藤健出演は伏せられていた程である。

徹底的に情報統制をしたおかげで、特に公開初日については「佐藤健が登場したときには映画館内に

悲鳴にも似た歓声があがった」とSNSで見かけた。

佐藤健さんは仮面ライダー電王の主人公を演じており、出演シーンは"電王パート"として特別感のある

仕上がりであった。

電王パートのみ、放送当時の脚本のほぼ全てを担当した小林靖子さんが手掛けており、

モモタロスを始めとした4タロスのセリフや動き、佐藤健さん演じる野上良太郎石丸謙二郎さん演じる

オーナーの個性は10年前を強烈に思い起こさせたと言えるだろう。

また、佐藤健さんのセリフも"仮面ライダーは虚構である"本作のテーマに寄り添った内容となっており

「存在するということはどういうことなのか」を語りかけてくるのである。ここで号泣だ。

 

そんな完璧だった電王パートの最後は、野上良太郎と最も時間を共にしたモモタロスのセリフで締められた。

「俺たちも、お前を忘れるかよ・・・良太郎」

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これは、我々ファンが佐藤健さんへの想いを代弁してくれているようにも思える。

しかし、個人的にはもうひとつの解釈が出来るとも考えている。10年前の最終回は、

良太郎(佐藤健)のセリフ「いつか、未来で!」で締められている。それを踏まえて考えると、

今作のモモタロスのセリフは10年前へのアンサー(未来永劫、繋がりは切れない)とも受け取れるのでは

ないだろうか。

 

正直、宣伝の仕方としては佐藤健さんを客寄せパンダにすることも可能だったわけである。

(本人が望む望まないは置いといて)

しかしそれをせず公開初日までファンへの感謝、もといサプライズとして秘密にしてくれたことに対して

感動したと共に感謝の気持ちでいっぱいになったパートであった。

 

3.テーマ/メッセージ

今作のテーマは仮面ライダーは存在しない。虚構の存在。」である。元も子もないテーマだ。

そもそも、仮面ライダーが実在していないことについては、子供も含め多くの人が知るところである。

(同じマンションに住む5歳のライダーファンも、実在しないことを理解していた)

 

しかし、ここが深いところなのである。

事実、仮面ライダーは実在しない虚構の産物である。しかし、我々は仮面ライダーを知っているし

記憶している。そう、つまり仮面ライダーは確かに存在しているのだ。

"本来は存在しない人間"である運命に抗い続けた前作の主人公・桐生戦兎はこう言う。

「存在するしないは大した問題じゃない。俺たちは今ここにいる」(うろ覚えですがニュアンスはこんな感じ)

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2で述べた電王パートでも、野上良太郎「誰かの記憶に残っていれば、それは存在することになる」

いった旨のセリフを言っている。

これらのセリフが全ての解なのだ。

 

つまりどういうことか。フィクションであり虚構であり作りものである"仮面ライダー"は、

我々のような視聴者が記憶して語り継いでいくことで"存在するもの"として形作られるということだと考える。

更に、仮面ライダーという作品は仮面ライダーだけではなく、それを好きで応援するファンがいて初めて

"仮面ライダー"として成り立つ」という制作陣からのメッセージだと僕は捉えた。

本作は、仮面ライダーの歴史と共に歩んできた全てのファンに対して感謝を届けてくれたと言えるだろう。

 

以上が、僕の考える"何がすごかったのか"である。

 

複雑奇怪なストーリーを着地させながら、しかもこれだけの熱量をプラスでぶつけてきた本作品。

いちファンとしてこれだけの作品を観ることが出来て幸せだ。

 

仮面ライダーは、カッコイイ。

リーダーの評価ってなんだろう

とってもご無沙汰になってしまいました。

6月もちょうど折り返し地点を過ぎたあたり。

1年のおよそ半分がもう終わったと考えると、あまりの早さに焦ります。

 

さて、お仕事の話ですが、僕自身はこの4月から5年目となり、

会社内の年次で見てみると中堅の領域に足を突っ込み始めたくらいになりました。

リーダーとして、メンバーを持ちながら業務に携わり始めて1年半程が経ちましたが、その中でずっとモヤモヤしていたことがあります。

 

今回はそのお話。

 

まず、大前提としてリーダーの役割には、大きく2種類あると考えています。

1つめは、主にチームビルディングをメインとしたリーダー

ドラクエでいうと、プレーヤー自身がそれにあたります。

 攻略に向けて、色々とチーム編成やアイテム編成を考える辺りが似ていますね。

 僕はドラクエ3ではいつもエロと診断されていました。(わかる方います?)

2つめは、主にプロフェッショナルとして特化したリーダー

ドラクエでいうと、勇者やバトルマスター、賢者がそれにあたります。

 ある特定分野に特化したスペシャリストで、個の強さが際立つ方のことですね。

 

大きくは、この2種類に分けられるんじゃないかと思います。

 

さて、ここからが戦術したモヤモヤの部分なんですが、

リーダーの評価(またはアウトプット)ってなに?

ということです。

 

リーダーとは言え、自分がメインを張る案件はまだ複数持っています。

ですが、案件を回していることが評価に直結していた頃と比較すると、

いささか評価軸そのものが変わってきたように感じています。

 

評価が案件ではないとなると、それでは何になるのか。

 

 僕自身は、先ほど述べたリーダーの種類でいうと1つめに該当します。

すなわち、チームビルディングを中心としたリーダーとしての意見となりますが

リーダーの評価は、イコール、リーダーが持つチームメンバーの評価ではないかと最近考えるようになりました。

 

リーダーは、時にメンバーに対して指示出しや方向性決め、軌道修正や意見、

モチベーションコントロール等を行うことがあります。(他にもたくさんありますが)

ちょっと前まで僕は、これが評価(アウトプット)だと思い込んでいました。

ただ、変な話、いくら上記内容をやったところで、評価は全然上がりませんでした。

僕が評価(アウトプット)だと思い込んでいた部分は、ただ"やるべきこと"であり、

そこがチームに浸透しチームが成果を出して初めて評価に繋がるんだろうなと、

今ではそう思うようになりました。

 

改めて、チームビルディングをしているのであれば、

そのチームが出した成果がリーダーの評価に繋がると、今はそう思っています。

別に、メンバーの手柄を横取りするとかではありません。

メンバーが出した成果は、もちろんその子が評価されて然るべき話です。

僕が言いたいことは、例えば野球で言うと、

"監督"が最終的な評価対象になっているということです。

接戦をものにして勝利すれば「監督の采配、ズバリ的中!」

何連敗もすれば「重い監督責任。シーズン中に退任の可能性浮上」

このようなニュース、一度は目にした方も多いはず。

 

さて、長くなってきたので、再掲ですがまとめると

リーダーには大きく2種類があり、それは

主にチームビルディングをメインとしたリーダー

主にプロフェッショナルとして特化したリーダーの2つ。

リーダーの評価はリーダーが持つチームメンバーの評価。

付け加えると、プロフェッショナルの場合は、チームメンバーというよりは

所属組織全体の評価が、それに該当するのではないかと思っています。

 

とまぁ、こういうことなんじゃないかなぁと気づいたものの

ここから先が本当に大変なわけで、ヒーヒー言いながら毎日過ごしてます。

大変ですが、大変だからこそやりがいを感じているような日々です。