写真を撮ることが楽しくなくなってきたって話
はい、題名の通りです。
最近、写真を撮ることが楽しくなくなってきました。いや、楽しいは楽しいんですが
素直に楽しめなくなってきたというか。
友人と写真を撮りに行く。シャッターもたくさん切る。でも何か違う。
モヤモヤするので、1度言語化してみようと思って、記事を書き始めました。
撮ってて楽しくなくなった原因は「評価されない」ことが僕の場合は大きいです。
ただ、ここでいう評価というのは小さなもので、SNSでいいねがつかないといったもの。どうだ、ちっちぇだろ笑
元は、当時お付き合いしていた女性の影響で始めたカメラ。
EOS Kiss5という当時からしてもだいぶ型落ち、且つエントリー機を使用していながらめちゃくちゃ良い写真を撮っていたんですよね。
カメラなんて全く興味なかったのに、彼女が撮る写真に憧れてカメラを始めました。
確かそれが2017年頃の話。
『PENTAX Q』から始まり、そこからどんどん機材レベルが上がっていき今に至るわけですが、最初はカメラのモニターに写る写真を見るだけで「うおーすげー!」と感じていました。
上の写真はPENTAX Qを構えてるものですね。顎のお肉がポイントです。
この頃は撮影することそのものが純粋に楽しい時期でした。
そこから時を経て、PENTAX Q→EOS 9000D→EOS 6D MarkIIと機材が良くなるごとになんとなく個人的に満足のいく写真が撮れるようになってきました。
そこから、ちょっとずつ写真を撮った後の感覚が変わってきましたね。
なにかというと『人から承認されたい欲』が顔を出してくるんですよ。
例えば、100ってキリが良いなと思っていて、インスタやTwitterでも100いいねがついたら個人的に満足できるんですよね。「あ、なんかみんな良いと思ってくれてるんだ!」って。
それが、まぁいいねつかないんですよね笑
上の写真、最近撮ったもので僕は結構気に入ってるんですけど、まぁ無風。
結構ヘコむんですよ。「僕の写真ってそんなに良くないの?」って思っちゃう。
いいね数にしばられるのは良くないし、本質とは違うということは理解しつつも、どうしても目の前のわかりやすい評価を求めしてまう。そんな経験ないですか?
目的が知らぬ間に変わってしまってるんですよね。
手段は変わらぬままカメラのはずなのに、目的が「僕の好きな人たちを写真に残す」から「いいねをもらう」になってる。
カメラで撮るという行為自体は同じでも、その先に目指すものが変わってしまうと、同じことをしていても全く楽しくないんですよ。
1,000とか10,000いいね以上もらえてたらそんなことも気にならないんだろうけど。
もうひとつあって、写真って勝ち負けというわかりやすいものではなく定性的な評価で成り立っていることも自分が迷う原因になってます。
こう見えて、硬式テニスで神奈川県大会で優勝したことあるんですよ僕。
体育会系で、勝ち負けのわかりやすい世界で生きてきたので、余計に「むむむ」となる。
(写真の世界は『勝負』でないこともわかってはいますが)
自分が良いと思っても、最終は受け手がどう思うかってところは本当に難しいです。
ただ、撮影した写真を見返すと、みんな良い顔をして写ってるんですよね。
本当はそれを見て満足できたら良いんですけど。
この、『誰かから評価されたい』欲との戦いは長くなりそうです。
「楽しくないなら撮らなきゃ良いじゃん」と言われるかもですが、先述したように撮影した写真を見てると「撮って良かったな」って思うんですよ。
なので、時間は掛かるかもしれないですが、自分にとって大切な人を写真に残す。
そこに対して100%楽しめるようになれたら良いなと。
また、楽しみ方だって色々あるんですよね実は。
SNSにあげなくても、フォトブックにまとめて思い出を振り返るのも良いだろうし、様々なサイズにプリントして額に入れて飾るのだって良い。
今は、こんな風に友人と遊びながら撮影するのが楽しいかも。
結局書いてても気持ちがまとまりきらなかったですが、皆さんも「目的が変わってきたかも?」と思ったら1度立ち止まって考えてみてはいかがでしょう。